toubyo’s diary

白血病と診断されたサラリーマンの闘病生活をつづります。

娘の卒業式 その1

昨日は娘の小学生の卒業式でした。
コロナ禍ですが親は2名まで参加可能だったので本来であれば僕もそこにいたはずだったんのですが、この通り入院中ですので奥さんと私の母親に参加してもらいました。

 

卒業式終わりにテレビ電話で報告を受けた時は、卒業の嬉しさと自分がそこにいない悔しさなど様々な感情かいりまじり娘の前でしたが大粒の涙を流して泣きました。

でも大泣きした理由はもちろん入院中であることもあったのですが、他の家庭には無いもう1つの理由があります。

 

実は娘は低学年の時、不登校になりかけた時期がありました。たしか入学式から一週間ほどたった頃だったと思います、突然学校に行くことが出来なくなりました。ランドセルをしょって玄関のドアを出た所で足が止まるのです。そのからの一歩がどうしても出なくなりました。

 

心配になり娘と話し合いました。

本人が言うには学校で嫌なことがあったわけでもイジメを受けたわけでもないということでした。ただただ家を出て学校に行くこと自体ができないのだそうです。(きっと本人にしかわからない、まだ幼くて言葉に出来ない思いがあったのだと思います。)

 

親としても色々考え学校とも相談した結果、家から教室まで親が付き添うのはどうだろうという話しになりました。これならまずは学校へは着けるのでないかということで試してみることになりました。

 

しかし正直不安でした。我が子はこのまま引きこもりになってしまうのだろうか、でも勉強だけなら家でできるし行きたくない学校に無理やりつれていくのはどうなんだろう、同じ考えがぐるぐると回ります。でもやっぱり行けるものなら行って欲しい。

 

母親と登校した初日、娘は無事登校することができました。母親は一時間目の最初のほうまで廊下で見守った後帰ってきました。様子を聞くと思ったより普通に通えた様子だったので一安心しました。

 

またありがたいことに先生やクラスメイトが昇降口でお出迎えしてくれたり、教室でも何かと言葉をかけてくれたそうです。

 

今でもわからないのは学校から帰ってくると本人はなんともケロっとしているのがとても印象的でした。むしろ学校を楽しんで帰ってきた様にすら見える日もありました。登校することさえ出来れば学校生活は普通におくれることが分かりとても救われた気持ちになりました。

 

しかし母親との登校は続きます。1ヶ月、3ヶ月、たまに一人で行ってみる?と聞いても頑なに首を縦にふりません。当時の僕としては多くを望むより学校に行ってくれるだけありがたいと思ってました。

 

しかしこの状況も長くは続かないのです。

当たり前ですがいつかは一人で学校に行けるようにならなければなりません。そしてそれは半ば強制的に訪れました。