toubyo’s diary

白血病と診断されたサラリーマンの闘病生活をつづります。

病気のことを子供にどう伝えるべきか

僕には中学生1年生と今年5歳の娘がいます。

実は最初の入院中は病名や病気の詳細については説明していませんでした。

妻の方から体調不良で入院するくらいの情報しか伝えていませんでした。

下の娘は5歳なのでまだ理解出来ないので仕方ないのですが、長女はこの4月から中学生1年生です。

とても難しい年齢であり、本人も新生活に対する不安と期待もある中でいつ説明するべきか、どう説明するべきか、オンラインで良いのか、対面で説明するべきか。そして何をどこまで説明すればいいのか。

とにかくとにかく悩みました。

必要以上に不安を与えて小学校時の不登校が再現してしまわないかも心配でした。

 

妻とも相談して、最初の入院(寛解導入療法)が終わり、

治療結果が分かり今後の治療方針やスケジュールが決まった後の一時帰宅時に直接説明することにしました。

内容が内容なだけにオンラインよりは表情がよくわかる対面での説明を選びました。

伝えるタイミングと対面は決まったとして、1番難しい何を、どこまで、どう伝えるかが残っていました。

悩んだ末、あまり未来の事を伝える必要はなく、現時点での事実のみを伝えることにしました。

白血病という病気であること、どうゆう病気なのか、副作用について、今後の治療スケジュール、そして遺伝はしないことを伝えることとしました。

伝える内容については下記のページを参考にさせていたたきました。

 

ホープツリー がんになった親と子供のために

https://hope-tree.jp/information/

 

いざ娘に話す際はとても緊張しました。

メディアの影響で白血病は直らないとか、パパは死んでしまうの?などと言われたら上手く返せる自信がありませんでした。勿論回答は用意してましたが上手く口にできる自信がありませんでした。

しかしいざ話してみると意外にポジティブに受け取ったようでだったので、その場ではこれ以上病気の話しはせず、慣れない中学生生活で大変な時期に家に居れないことを謝罪し、無理しない範囲でママを助けて欲しいとお願いして終わりました。

ただ今後、説明した時には思わなかった疑問が彼女の中で誰にも相談出来ずに大きくなってしまうことか心配です。

いつでも何でも質問してとは言ったもののなかなか難しいと思いまので、こればかりは娘の顔や雰囲気の変化をよく見て適宜フォローしていくしか無いと思っています。

次会えるまでまだ1ヵ月、夜になると早く顔が見たいと思ってしまいます。

その想いを力に入院生活を頑張って行きたいと思います。

 

同じような境遇の方がいましたらご意見やアドバイス、意見交換等出来れば嬉しく思います。よろしくお願いします。

どうなの?UQモバイルのデザリング速度

前回の入院の経験をふまえて、やっぱり動画見るならスマホよりタブレットでしょ。ということで今回はAndroidの格安タブレットを購入して持ち込みました。

モバイルWi-Fiルーターは勿体ないので契約せず、手持ちのUQモバイルスマホでデザリングです。(節約モードでの実施)

※節約モードであればデザリングでいくらつかっても月額料金内です。

 

が、、、これがなんとも遅い!VODやyoutubeが全然動きません。

10秒に一回は固まってとてもじゃないけど使い物になりません。

試しに速度を計ってみると下りで3.05MBとなっておりやや心許ない、5MB程度は欲しいところ。

ちなみに速度測定は以下のサイトで実施しました。

USENのインターネット回線スピードテスト https://speedtest.gate02.ne.jp/

 

以下が実際のUQモバイルのデザリングでの速度結果です。動画を見るなら左上のDownloadが5.0は欲しいところです。

 

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UQモバイルでのデザリング時やの速度

 

タブレット買ったのに動画全然見れないよと看護士さんに愚痴っていたら、病院のWi-Fiがあるとのこと。

早くいってよ!と思ったら入院のパンフレットにバッチリ書かれてました。看護士さんごめんなさい。

以下が病院のWi-Fiでの速度測定結果。

左上のDownloadが24MB!VODもyoutubeもサクサク見れましたとさ。

ただし公共のWi-Fiは誰でもつなげられるものになるので仕事や個人情報やクレジットカード情報のを入力するのは控えた方が良いでしょう。

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病気Wi-Fi接続での通信速度

 

一時帰宅 義理の両親への報告 その2

一ヶ月以上におよぶ入院生活が一段落し、次の入院まで二週間の一時帰宅となった。

帰った翌日に隣に住む義理の両親に挨拶に行った。

「この度はご迷惑をおかけして申し訳ありません。引き続きご迷惑をおかけしますがよろしくお願いします。」

深々礼をしながらに伝えた。

伝えながらに様々な感情が込み上げてきて、これ以上しゃべれなくなった。

「大変だったね。まずは帰ってこれてよかったよ。」

決して目は合わさないが温かい言葉をもらった。

普段のそっけない態度から僕のことを良く思っていないのではないかと感じていたが

そのことが勘違いだったことを今回の一時帰宅で知った。

散歩していると「大丈夫?」と声をかけてくれてくれた。

僕には直接聞かないが、奥さん経由で食べたいものや欲しいものを聞いてくれていたらしい。

外来時や二回目の入院時に車で送迎してくれた。

きっとお義父さんお義母さんはシャイな人なんだろう。

だから直接的なコミュニケーションは少ない、でもちゃんと僕の事も家族だと思ってくれているのだと思った。

少しずつではあるが以前より会話が増えた。

今回の病気であ互いの心の距離が縮まった気がする。

次の一時帰宅時はもう少し積極的に話かけてみたいと思える様になった。

また二人とも年齢もそこそこなので、将来何かしらの手伝いが必要になった時にはしっかり助けてあげたいと思えるようになってきた。

折角隣に住んでいるんだから助け合って。

家族なんだから助け合って。

 

そのためにも早く元気になりたいと改めて思った。

 

一時帰宅 義理の両親への報告 その1

寛解療法を終え、3/29(火)に一時帰宅予定となった。

 

この先色々と不安はあるけどまずは家族との時間を楽しみたいと思う。 

 

それと隣に住む義理の両親への報告をしようと悩んでいる。

 

さすがに何の挨拶も無しという訳にはいかない。

 

しかし、何と言うべきか。

 

最初は真剣に土下座で謝罪を考えた。

 

しかし受けとるほうも重いだろう。

 

隣に住んで10年ちょっと。

 

義理の両親とは未だにそれ程には打ち解けていない。

 

今更ながらこの微妙な距離感が縮まることは無いだろう。

 

そんな中の報告はどうしたものか、退院の報告だけでよいのか、娘さんと結婚させて頂いたのに申し訳ありませんと謝罪するのか。

 

一時帰宅中のやることリストの一つとなっている。

 

どうしたものか。

 

 

父の後悔

いつも陽気な父だか、お酒を飲んでいる時ふと言った一言が今も忘れられない。

 

「あまり旅行など連れて行けなかったし、そんなに遊んでやれなかったのは申し訳なかったな。」

 

父は夜勤ありの3交代制で働いてた。

休みもまばらということもあり遠方に出掛けた回数は普通の家庭と比べると大分少ないだろう。

泊まり掛けの旅行など記憶にあるのは2度程度だ。

大人になってあまり金銭的にも裕福とはいえなかったとも知った。

 

しかし子供の僕からすると正直そんな思いは一度も感じたことが無かった、確かに遊ぶとしても近場だし出かける回数も少なかったかもしれない。

 

でも近くの山でバイクの2人乗りをジェットコースターのようにしてくれたこと、下らない遊びや雑学を沢山教えてくれたこと、今思えば子供騙しな手品でワクワクさせてくれたこと、いつも僕を笑顔にしてくれた。

 

小学校5年生の時、親友から「おまえのお父さん面白いよな、俺のお父さんもあんなんだったらなあ」と言われたなんてこともあった。それくらい父は僕を周りを十分楽しませてくれていた。

 

そして何より夜勤開けの眠い中、こそこそと布団に潜り込む息子をいつも温かく迎えてくれたこと、大人になった今だからこそ沢山の愛情を感じる。

 

あの時、父の申し訳なかったなと言う発言に、上手く返せなかったことを今でも少し後悔している。

 

だから上手い返しを考えて、感謝の気持ちを伝えたいと思ってる。

 

本当は父の葬儀で言ってやろうとずっと思ってたけど、もうどっちが先かわからないから。

 

でよやっぱり恥ずかしくなったら手紙になっちゃうかもな。

 

お父さんありがとう。

 

 

娘の卒業式 その2

前回は小学校1年生の時に長女が母親と一緒じゃないと登校出来ないことを書きました。今回はその続きとして家庭の事情と共に変化していく長女の様子を書きました。当時を思い出し思わず泣いてしまいました。記憶を記録としておくためにも記事にしました。

 

 

長女が1年生の9月に妻が妊娠していることがわかった。もちろ待望の2人目嬉しい、とくに3年前に妊娠初期にダメになっている経験があるだけに嬉しかったし今回こそはの思いがあった。

 

しかし妻は悪阻がとても重い体質。
長女の時もベッドかトイレでもどしているばかりでとても辛そうでした。何度も点滴に病院にも行きました。当時は1人目ということもあり実家に戻って完全休養してました。

 

しかし今回は2人目、しかも毎朝奥さんがいないと登校できない長女、どうしたものかと考え決して暇ではないお義母さんにお願いすることになりました。(というかこの方法しか無かった、お義母さんは隣に住んでいますが、妻は甘え下手のため、、というちょっと難しい関係性)

 

はじめは娘も承諾しなかったのですが、ひどい悪阻で日常生活すらまともに出来ない妻の姿で観念したかのようになんとか受け入れてくれました。

 

しかしお義母さんもボランティアやら民生委員やら地区の何やら、とにかく忙しい人なので都合がつかない人は僕が付き添うこともありました。

 

実際自き添ってみると、周りのあたたかい対応を目の当たりにして素晴らしい学校に通っているんだなぁ、ありがたいなぁという気持ちでいっぱいになりました。

 

娘が一番打ち解けている先生(のような方)がいつも昇降口で迎えてくれる。優しい言葉を投げ掛けてくれる。友達が沢山寄ってきてくれる。僕の時代と変わったなぁ、きっと昔から根性論一択でなんなら先生から拳骨もらったかも。

 

4ヶ月程たち妻の悪阻も良くなってきた頃、長女にも変化が表れ始めていたのがわかりました。何となく一皮剥けた様な雰囲気と顔つき。自分がお姉さんになることの自覚とも覚悟ともとれる雰囲気が伝わってくるようにな顔つきになってきていました。不思議と親子だとわかるものです。血の繋がりなのか一緒に過ごした時間なのか。

 

このたタイミングを逃すものかと妻と相談し、近所の面倒見の良い姉妹(3年生と1年生)に一緒に登校してもらうようお願いし快諾してもらいました。

今なら普段から仲の良い子達となら登校できるのではと考えたのです。

 

そして優しい姉妹の手伝いもあって徐々に子供だけで通学できる様になりました。時にはどうしても家族じゃなきゃダメな日もありましたが、それも徐々に減っていき2年生になる頃には友達と通う姿が当たり前になりました。

 

それでも長期の休み開けは本人の長いで葛藤があるの見ていてわかりました。それでもなんとか玄関ドアを開けて、待っている友達の所までの数歩を頑張っている姿は忘れられません。

 

今となっては思い出話ですが当時はやっぱり心配でした。今でも引っ込み思案な彼女なので中学生活は多分色々と大変だろうと思います。特に噂に聞く女子特有の社会の免疫があまり無いと思いますので苦労は絶えないと思います。それでも何とか折り合いをつけてやっていって欲しい、そして出来れば中学生を人生を楽しんで欲しい。

 

面と向かっては絶対に言えないけど、

がんばれ!応援してるよ!!

 

 

娘の卒業式 その1

昨日は娘の小学生の卒業式でした。
コロナ禍ですが親は2名まで参加可能だったので本来であれば僕もそこにいたはずだったんのですが、この通り入院中ですので奥さんと私の母親に参加してもらいました。

 

卒業式終わりにテレビ電話で報告を受けた時は、卒業の嬉しさと自分がそこにいない悔しさなど様々な感情かいりまじり娘の前でしたが大粒の涙を流して泣きました。

でも大泣きした理由はもちろん入院中であることもあったのですが、他の家庭には無いもう1つの理由があります。

 

実は娘は低学年の時、不登校になりかけた時期がありました。たしか入学式から一週間ほどたった頃だったと思います、突然学校に行くことが出来なくなりました。ランドセルをしょって玄関のドアを出た所で足が止まるのです。そのからの一歩がどうしても出なくなりました。

 

心配になり娘と話し合いました。

本人が言うには学校で嫌なことがあったわけでもイジメを受けたわけでもないということでした。ただただ家を出て学校に行くこと自体ができないのだそうです。(きっと本人にしかわからない、まだ幼くて言葉に出来ない思いがあったのだと思います。)

 

親としても色々考え学校とも相談した結果、家から教室まで親が付き添うのはどうだろうという話しになりました。これならまずは学校へは着けるのでないかということで試してみることになりました。

 

しかし正直不安でした。我が子はこのまま引きこもりになってしまうのだろうか、でも勉強だけなら家でできるし行きたくない学校に無理やりつれていくのはどうなんだろう、同じ考えがぐるぐると回ります。でもやっぱり行けるものなら行って欲しい。

 

母親と登校した初日、娘は無事登校することができました。母親は一時間目の最初のほうまで廊下で見守った後帰ってきました。様子を聞くと思ったより普通に通えた様子だったので一安心しました。

 

またありがたいことに先生やクラスメイトが昇降口でお出迎えしてくれたり、教室でも何かと言葉をかけてくれたそうです。

 

今でもわからないのは学校から帰ってくると本人はなんともケロっとしているのがとても印象的でした。むしろ学校を楽しんで帰ってきた様にすら見える日もありました。登校することさえ出来れば学校生活は普通におくれることが分かりとても救われた気持ちになりました。

 

しかし母親との登校は続きます。1ヶ月、3ヶ月、たまに一人で行ってみる?と聞いても頑なに首を縦にふりません。当時の僕としては多くを望むより学校に行ってくれるだけありがたいと思ってました。

 

しかしこの状況も長くは続かないのです。

当たり前ですがいつかは一人で学校に行けるようにならなければなりません。そしてそれは半ば強制的に訪れました。