toubyo’s diary

白血病と診断されたサラリーマンの闘病生活をつづります。

娘の卒業式 その2

前回は小学校1年生の時に長女が母親と一緒じゃないと登校出来ないことを書きました。今回はその続きとして家庭の事情と共に変化していく長女の様子を書きました。当時を思い出し思わず泣いてしまいました。記憶を記録としておくためにも記事にしました。

 

 

長女が1年生の9月に妻が妊娠していることがわかった。もちろ待望の2人目嬉しい、とくに3年前に妊娠初期にダメになっている経験があるだけに嬉しかったし今回こそはの思いがあった。

 

しかし妻は悪阻がとても重い体質。
長女の時もベッドかトイレでもどしているばかりでとても辛そうでした。何度も点滴に病院にも行きました。当時は1人目ということもあり実家に戻って完全休養してました。

 

しかし今回は2人目、しかも毎朝奥さんがいないと登校できない長女、どうしたものかと考え決して暇ではないお義母さんにお願いすることになりました。(というかこの方法しか無かった、お義母さんは隣に住んでいますが、妻は甘え下手のため、、というちょっと難しい関係性)

 

はじめは娘も承諾しなかったのですが、ひどい悪阻で日常生活すらまともに出来ない妻の姿で観念したかのようになんとか受け入れてくれました。

 

しかしお義母さんもボランティアやら民生委員やら地区の何やら、とにかく忙しい人なので都合がつかない人は僕が付き添うこともありました。

 

実際自き添ってみると、周りのあたたかい対応を目の当たりにして素晴らしい学校に通っているんだなぁ、ありがたいなぁという気持ちでいっぱいになりました。

 

娘が一番打ち解けている先生(のような方)がいつも昇降口で迎えてくれる。優しい言葉を投げ掛けてくれる。友達が沢山寄ってきてくれる。僕の時代と変わったなぁ、きっと昔から根性論一択でなんなら先生から拳骨もらったかも。

 

4ヶ月程たち妻の悪阻も良くなってきた頃、長女にも変化が表れ始めていたのがわかりました。何となく一皮剥けた様な雰囲気と顔つき。自分がお姉さんになることの自覚とも覚悟ともとれる雰囲気が伝わってくるようにな顔つきになってきていました。不思議と親子だとわかるものです。血の繋がりなのか一緒に過ごした時間なのか。

 

このたタイミングを逃すものかと妻と相談し、近所の面倒見の良い姉妹(3年生と1年生)に一緒に登校してもらうようお願いし快諾してもらいました。

今なら普段から仲の良い子達となら登校できるのではと考えたのです。

 

そして優しい姉妹の手伝いもあって徐々に子供だけで通学できる様になりました。時にはどうしても家族じゃなきゃダメな日もありましたが、それも徐々に減っていき2年生になる頃には友達と通う姿が当たり前になりました。

 

それでも長期の休み開けは本人の長いで葛藤があるの見ていてわかりました。それでもなんとか玄関ドアを開けて、待っている友達の所までの数歩を頑張っている姿は忘れられません。

 

今となっては思い出話ですが当時はやっぱり心配でした。今でも引っ込み思案な彼女なので中学生活は多分色々と大変だろうと思います。特に噂に聞く女子特有の社会の免疫があまり無いと思いますので苦労は絶えないと思います。それでも何とか折り合いをつけてやっていって欲しい、そして出来れば中学生を人生を楽しんで欲しい。

 

面と向かっては絶対に言えないけど、

がんばれ!応援してるよ!!